松の煤

早春の草花が芽吹く頃、おばあさんは犬を連れて山を登った。

犬はうっすら残った雪を見つけては、踏んで遊んだ。

「あんまり端を行くと沢に落ちるよ、危ないよ。」

犬は赤いマフラーの端を揺らしながら、おばあさんの後を走って追いかけた。

細い脇道を入った先に、赤い前掛けをした地蔵が静かに並んで佇んでいた。

おばあさんは手ぬぐいで、地蔵の顔や頭をひとつひとつ拭いて、足元の枝や枯葉を綺麗にした。

手を合わせて地蔵のようにじっと動かないおばあさんの周りを、犬はウロウロと歩き回った。

「あら、ユキワリソウだね。」

地蔵の足元に青紫の花びらを広げた小さな花が咲いているのを見て、まるで宝物を見つけたかのようにおばあさんがそう言った。

犬は近寄ってクンクンと匂いを嗅いだ。

「ケンちゃんだめよ、食べないでおくれ。」

おばあさんは両手でそっと花を囲った。

帰り道、犬がフキノトウを見つけ、おばあさんが籠へ入れながら山を下りた。

フキノトウを探すうちに、一瞬犬が斜面で足を滑らせた。

「ケンちゃん!」

──おばあさんの耳に、沢の水が勢いよく流れる音が一瞬響いた──

「ケンちゃんもういいよ、フキ茹でて食べよう。ほんとは天ぷらが美味しいんだけどね。ケンちゃんはほら、食べられないだろう、天ぷらは。」

しんと静まり返った夜、水栓に集まった水が重さに耐えられず、ぽたりと落ちてシンクを叩いた。

犬は鼻を鳴らし、おばあさんの横で項垂れた。

「寒いだろ、おはいり。」

布団に入れてやると、寄り添う犬をおばあさんは優しく撫でた。

「あったかいねぇ。」

おばあさんは犬の大きな黒い目を覗き込んだ。

手押し車を押し、スイカを食べ、線香花火の稲妻を見つめて笑う息子の姿を、瞳の中に見ていた。

「ケンちゃん……ありがとう。」

犬はおばあさんの頬を舐めた。

外ではカラスの存在を知らせるシジュウカラのさえずりが聞こえた。

犬はおばあさんの肩に顎を乗せてゆっくりと目を閉じた。